八代亜紀の死因は何?膠原病治療で活動休止し療養中だった!

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歌手で画家の八代亜紀さんが2023年12月30日にお亡くなりになりました。
「膠原病の治療に専念する」ということで入院されていたそうですが、突然の悲報に驚きを隠せません。

八代亜紀さんの死因は何だったのか、膠原病治療中で活動休止し療養中だったことをまとめてみました。

目次

八代亜紀の死因は何?

2023年12月30日に膠原病の一種である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、亡くなっていたことが分かりました。

急速進行性間質性肺炎は、肺の組織に急激に炎症や線維化が進行する疾患です。これにより、肺の正常な機能が障害され、酸素の交換が困難になります。原因はさまざまで、自己免疫疾患、感染症、薬剤反応、または特発性(原因不明)である場合もあります。

膠原病は自己免疫疾患の一つで、体の免疫系が誤って自身の組織を攻撃してしまう病気です。
八代亜紀さんは頑張って闘病されていたのですね、、
とても悲しいです、、、

八代亜紀:膠原病治療で活動休止し療養中だった

八代亜紀さんはは8月下旬に体調不良を訴え、複数の病院を受診。
詳細な検査を行ったところ、膠原病との診断を受けました。
すでに入院しており、治療に専念するためしばらくの間、病院で療養し病気の細かな症状などは公表しない方針でした。
引用:日刊スポーツ

八代亜紀さんはは9月9日に埼玉・熊谷市内で行われたコンサート「日野皓正クインテット」にゲスト出演されたそうで、入院前の最後のステージでした。
普段と変わらない様子で「舟唄」「雨の慕情」などをジャズアレンジで歌い上げたそうです。

「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っていてね。また、皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!」とおっしゃっていたそうです。
引用:日刊スポーツ

とてもチャーミングでアーティステックだった八代亜紀さん。
元気にカムバックされると思っていました、、、

八代亜紀:SNSから声

え… 驚きすぎて数秒息できませんでした。 素敵な声。優しさと力強さを兼ね備えた歌が大好きで、子供の頃から歌っていました。 最近、お姿は拝見してなかったけど歌はずーっと聴いています。ありがとうございました。 御冥福をお祈りします。

嘘… 昨年に亡くなっていたのですか? 紅白歌合戦にも何度も出演されていたのにその大晦日を前に亡くなっていたなんて… 大好きでした。 雨の慕情や舟唄が人気でしたが、私はなみだ恋が一番好きでした。 哀悼の意を表します。

まだまだ元気そうなお姿を鮮明に覚えていますが、思った以上に容体が芳しくなかったのですね…。 しっとりとした歌声やチャーミングな笑顔が素敵でした。 ご冥福をお祈りいたします。

八代亜紀:パーソナルデータ

  • 名前:八代 亜紀(やしろ あき)
  • 生年月日:1950年8月29日
  • 出身地:熊本県八代郡金剛村(現在の八代市)
  • 職業:演歌歌手、女優、タレント、画家
  • デビュー:1971年、「愛は死んでも」でデビュー
  • 主な楽曲:「なみだ恋」、「舟唄」、「雨の慕情」など
  • 死去:2023年12月30日(73歳没)
  • 死因:膠原病の一種である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎

八代亜紀さんは、特に「舟唄」や「雨の慕情」で知られ、演歌の女王として広く親しまれました。また、画家としても活動し、数多くのヒット曲を生み出しました。

ボランティアにも尽力されていて、少年院や女子刑務所への慰問、
ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の両親が同郷だったということで、ペルーへの支援もし、ヤシロアキ工業技術学校も設立されたそう。

震災のあった被災地に訪れ、畳を数千畳おくったり、コンサート活動もしていたそうです。
また、交通遺児のためにチャリティの個展を開いたり、必要としている場所へ行き、寄り添う愛の溢れた方でした。

まとめ

八代亜紀さんの死因は何だったのか、膠原病治療中で活動休止し療養中だったことをまとめてみました。
あまりに急な悲報で八代亜紀さんという日本を代表するような歌手が亡くなった事に気持ちが追いつかない思いです。

特にご遺族の方々の心が慰められますように、ご冥福をお祈りいたします。

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