ニュース番組でおなじみのアナウンサー・鈴江奈々さん。
落ち着いた語り口と確かな信頼感で長年活躍している彼女ですが、実はその学歴や経歴がすごいって知ってましたか?
アラスカでの幼少期、全国レベルのダンス経験、慶應大学でのミス慶應受賞、そして日本テレビ入社後の華やかなキャリア…。
この記事では、鈴江奈々さんの“学び”と“経験”を軸に、アナウンサーとしての成長ストーリーをわかりやすくご紹介します!
堀江奈々の学歴を徹底解剖!アラスカ育ちから慶應卒までの軌跡
アナウンサーとして長年にわたり活躍する鈴江奈々さん。
実はその華やかなキャリアの裏側には、知られざる学歴や生い立ちのエピソードがたくさんあります。
幼少期の海外生活から、厳しい中高時代、そして慶應義塾大学で培った「伝える力」まで――。
ここでは、鈴江さんのルーツから学生時代にかけての軌跡をたっぷりとご紹介します。

幼少期はアラスカ育ち!藤沢の自然と共に育った少女時代
鈴江奈々さんは1980年7月、神奈川県藤沢市に生まれました。
父親はパイロット、母親はキャビンアテンダントという国際派の家庭に育ち、なんと0歳から3歳まではアメリカ・アラスカで暮らしていたそうです。
その後、藤沢市の新林小学校に入学。
兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子として、海が見える片瀬山の自宅で、自然と動物に囲まれたのびのびとした日々を過ごしました。

アラスカ育ちなんて、まさにグローバルなルーツですね!
大型犬や猫と一緒に暮らし、兄の友達と外で元気いっぱいに遊ぶ活発な女の子だったといいます。
次は、鈴江奈々さんが夢中になったダンスとともに過ごした中学・高校時代についてご紹介します。
桐蔭学園中学・高校時代はダンスに夢中!全国大会で入賞も
鈴江奈々さんは、中学・高校時代を神奈川県横浜市にある桐蔭学園中学校・高等学校で過ごしました。



桐蔭学園は中高一貫の私立校で、当時の偏差値は60〜69とされる進学校でもあります。
そんな学校生活の中で鈴江さんが出会ったのが、ダンス部でした。
きっかけは、隣の席のクラスメートに誘われて入部したこと。
そこから本格的にダンスにのめり込み、なんと「全国高校創作ダンスコンクール」で2位に入賞するほどの実力を身につけました。



文武両道って、まさにこのことですね!
この経験は、「表現することの楽しさ」や「仲間と何かを作り上げる達成感」を強く感じるきっかけになったそうです。
高校時代の鈴江さんはすでに、「伝える」「創り上げる」といったことに自然と興味を持っており、この頃からアナウンサーとしての素地が育まれていたのかもしれません。
続いては、そんな彼女が進学した慶應義塾大学での、華やかで刺激的な学生生活をご紹介します。


慶應大学時代にミス慶應グランプリを獲得!メディア出演の原点
高校卒業後、鈴江奈々さんは慶應義塾大学の経済学部に進学しました。
大学に入ってからも、ダンスへの情熱は変わることなく、ダンスサークル「JADE」に所属。
練習やステージづくりに励みながら、創造する力や表現力を日々磨いていきました。
そんな鈴江さんが一気に注目を集めたのが、2000年に出場した「ミス慶應コンテスト」です。



「軽い気持ちで応募したらグランプリ」って、すごすぎます!
「とりあえず何でもやってみよう!」という気持ちでエントリーしたところ、見事グランプリを受賞。
その結果、学内はもちろん、外部からも注目される存在へと一気にステップアップしました。
また、大学3年生のときには、BSフジの学生出演番組にも出演。
このとき「自分の言葉で何かを伝える」という体験を通じて、アナウンサーという仕事をより現実的に意識するようになったと言われています。
次は、大学時代に訪れたもう一つの転機――イギリスへの短期留学と、「伝える力」を育んだ貴重な体験についてご紹介します。
イギリス留学とサークル活動で育んだ「伝える力」
慶應大学時代、鈴江奈々さんはイギリス・ブライトンへの短期語学留学も経験しています。
大学2年の夏、約1ヶ月間ホームステイをしながら語学学校に通い、世界各国から集まった学生たちと英語でのコミュニケーションに挑戦。
この体験を通じて、「言葉が通じるってすごい!」という強い感動を覚えたことが、“伝える”ことへの情熱の原点になったと語っています。



海外での気づきが、将来の仕事につながるって素敵ですね。
一方で、大学のダンスサークルでは舞台の構成や演出にも関わり、チームで一つの作品を創り上げる中で、「何をどう伝えるか」という意識も自然と育まれていきました。
この頃からすでに、「将来は何かを発信する仕事がしたい」という想いが芽生えていたそうです。
こうした大学時代の多彩な経験が、後に日本テレビのアナウンサーとして報道の現場に立つ鈴江奈々さんの、しっかりとした“土台”をつくっていたのです。
次はいよいよ、彼女がアナウンサーという夢を実現するまでの道のりと、日本テレビ入社のきっかけについてご紹介します。


堀江奈々のアナウンサーへの道と学生時代の素顔とは?
ダンスと留学を通して「伝えること」の魅力に目覚めた鈴江奈々さん。
大学生活の後半には、メディアへの関心がより強まり、将来の進路として“アナウンサー”を意識するようになりました。
ここからは、彼女がどうやってアナウンサーの道を選び、どんな想いでこの仕事に臨んできたのかを深掘りしていきます。
【きのうは母の日💐】⁰ ⁰街のみなさんに⁰母の日をどう過ごしたか⁰聞きました。⁰ ⁰#斎藤佑樹 キャスターの⁰母の日は?⁰ ⁰#newsevery 5月12日放送⁰#鈴江奈々 #森圭介#山﨑誠 #直川貴博 pic.twitter.com/gYDWQTIsf9
— news every. (@ntvnewsevery) May 12, 2025
日テレ入社のきっかけは?アナウンス体験で芽生えた夢
鈴江奈々さんがアナウンサーという職業に本格的に興味を持ち始めたのは、大学3年生のときに参加した「アナウンスフォーラム」がきっかけでした。



このイベントでは、実際にアナウンサーや番組制作の関係者と直接話す機会があり、「こんなに面白い世界があるんだ!」と心をつかまれたそうです。



現場の人と直接話せるって、夢が一気に現実に近づく瞬間ですよね。
それまでのダンス経験や留学体験を通じて身につけた「伝える力」が、この仕事にぴったりだと実感。そこからアナウンサーを本格的に目指すようになりました。
就職活動ではテレビ業界を中心に受け、日本テレビから内定を獲得。
2003年、同局にアナウンサーとして入社します。同期には、森麻季さん、上重聡さん、右松健太さんなどがいました。
入社当初から報道志望だった鈴江さんは、バラエティ番組ではなくニュース番組を希望。
志望通り、報道の現場で実績を積み重ねていきました。
このあと紹介するのは、そんな彼女が実際に担当してきた報道番組や、キャスターとしての実績についてです。
報道番組で16年活躍!北京五輪や24時間テレビでの実績も
鈴江奈々さんは日本テレビ入社後、主に報道や情報番組を中心にキャリアを重ねてきました。
長年にわたり担当していたのが、『NEWS ZERO』や『真相報道 バンキシャ!』などの大型報道番組。
落ち着いた語り口と信頼感のある進行スタイルで、視聴者からの好感度も高く、まさに報道現場の“顔”として存在感を放ってきました。



安心して見ていられるアナウンサーって、本当に貴重ですよね。
特に2008年の北京オリンピックでは、現地キャスターとして現場からの取材に参加。
スポーツの興奮や舞台裏をリアルに伝えるリポートは、多くの視聴者の記憶に残るものとなりました。



オリンピックの現地リポートって、信頼されていないと任せてもらえませんよね。
さらに、2012年には『24時間テレビ35 愛は地球を救う』で総合司会も担当。
全国ネットでの長時間生放送という大役を見事に務め上げ、アナウンサーとしての実力と信頼をさらに確かなものにしました。



あの番組を仕切るのって、本当にすごいプレッシャーだと思います。
このように、ニュース・スポーツ・社会的キャンペーンまで幅広い現場を経験し、
鈴江奈々さんは「報道の現場に強い女子アナ」として確固たる地位を築いていったのです。
次は、そんな彼女が持つ報道への想いや、大切にしている価値観について深掘りしていきます。
「伝える仕事」の原点と信念とは?社会と向き合う報道姿勢
鈴江奈々さんは、ただ“ニュースを読む”のではなく、「社会と向き合い、想いを届ける」ことを信念としてアナウンサーの仕事に向き合っています。
特に印象的なのが、日本テレビ70周年のキャンペーン報道『こどもday』への参加です。
このプロジェクトでは、「子どもたちの本音を社会に伝える」というテーマのもと、実際に高校生と対話しながら企画を作り上げていきました。
「大人に言われたくない言葉」「言われて嬉しかった言葉」など、子どもたち自身のリアルな声を番組に反映させる姿勢が光っていました。



子どもたちの声に耳を傾けるって、本当に大切なことですよね。



このときの経験には、母親としての視点も大きく関わっていたそうです。
自身も育児を経験したことで、子どもの悩みや社会問題に対して感情的に共鳴することが増え、「ただ伝えるだけでなく、責任を持って発信する」ことの重みを感じるようになったと言います。
また、『news every.』では、「ミンナが、生きやすく」というコンセプトのもと、視聴者と同じ目線で考え、言葉を選びながら伝える姿勢が、多くの共感を集めています。



「自分の言葉で伝える」って、やっぱり心に響きますね。
おはようございます。しばらく体調を崩してましたがやっと復活しました😊先日、モエヤンと日テレアナウンサーの鈴江奈々ちゃんと元日テレアナウンサーの宮崎宣子りんと子供達でママ会をしました!子育ての話に花が咲いた🌸みんなでシェアして笑って楽しい時間でした✨S#ママ会 #ママ友 #育児 pic.twitter.com/ylqdADhrpb
— モエヤン (@mamayan_moeyan) January 28, 2025
次は、そんな鈴江奈々さんが2025年に昇進した管理職としての新たな一歩をご紹介します。
管理職「リードスペシャリスト」昇進に見えるキャリアの到達点
2025年、鈴江奈々さんは日本テレビ報道局にて「リードスペシャリスト」という管理職ポジションに昇進しました。
この役職は、報道現場で高い信頼を得ているアナウンサーにのみ与えられるもので、単なるキャスターとしての活動にとどまらず、番組制作や後進の育成にも関わる重要な立場です。



まさに「現場で培った信頼」の結果なんですね。
この昇進の背景には、これまで積み重ねてきた多くの実績と信頼があります。
北京五輪での現地取材や『24時間テレビ』での総合司会といった大舞台はもちろん、日々のニュース報道でも視聴者に寄り添う語り口や安定感のある進行が高く評価されてきました。
さらに、家庭と仕事を両立させながらキャリアを積み重ねてきたことも、多くの働く女性たちの共感と支持を集めています。



子育てしながら管理職に昇進って、本当にすごいことです。
鈴江奈々さんのキャリアは、「伝える力」を軸に、地道な努力と共感を重ねて築き上げてきた信頼の軌跡そのもの。
その姿は、これからのアナウンサー像、そして働く女性のロールモデルとして、多くの人に希望や勇気を与えてくれる存在と言えるでしょう。


鈴江奈々の学歴・経歴に関するよくある質問(Q&A)
Q: 鈴江奈々の出身大学はどこ?在学中はどんな学生だった?
A: 鈴江奈々さんは慶應義塾大学経済学部の出身です。在学中はダンスサークル「JADE」に所属し、表現力や創造力を磨きました。また、イギリスへの短期留学やミス慶應グランプリ受賞といった経験もしています。
Q: アナウンサーを目指したきっかけは何ですか?
A: 大学3年時に参加したアナウンスフォーラムで、実際のアナウンサーと触れ合い「伝える仕事の面白さ」に目覚めたことが大きな転機でした。それまでのダンスや留学の経験とも結びつき、アナウンサー志望を固めたようです。
Q: 鈴江奈々のキャリアで特に印象的な仕事は?
A: 北京五輪現地キャスターや、24時間テレビの総合司会などが特に注目されました。また、『NEWS ZERO』や『news every.』など報道番組のレギュラーとして、長年にわたり安定した実績を残しています。
Q: なぜ報道志向が強いのですか?
A: 社会と向き合い、「伝えることで人と人をつなげる」ことに意義を感じているからです。特に育児を経験したことで、子どもや家族の視点から社会問題に共感し、より深みのある報道姿勢を確立しています。
Q: 鈴江奈々は現在どんな役職に就いているの?
A: 2025年に報道局の管理職「リードスペシャリスト」に昇進しました。報道現場のリーダー的存在として、番組制作や後輩育成にも関わるポジションです。
まとめ
今回の記事では、鈴江奈々さんの学歴と経歴を深掘りし、アナウンサーとしての道のりを時系列でご紹介しました。以下に要点をまとめます。
- 幼少期はアラスカで過ごし、藤沢市の自然豊かな環境で育つ
- 中学・高校時代はダンス部に所属し、全国大会で2位入賞の実績も
- 慶應義塾大学ではミス慶應グランプリを受賞し、イギリスへの短期留学も経験
- 大学時代の体験をきっかけにアナウンサーを志望、日本テレビに入社
- 北京五輪キャスター、24時間テレビ総合司会など報道で長年活躍
- 2025年には報道局管理職「リードスペシャリスト」に昇進
学歴や経歴を見ると、鈴江奈々さんは決して一足飛びで成功したわけではなく、自分の「伝える力」を磨きながらキャリアを築いてきたことがよく分かります。
その真摯な姿勢こそが、今も多くの視聴者に愛され続けている理由なのかもしれません。

