やり投げ界のエース・北口榛花選手が、なぜ遠く離れたチェコを拠点にしているのか気になりませんか?
この記事では、
- 北口榛花がチェコを選んだ理由
- 現地でのトレーニング環境やコーチとの関係
- 言語や文化の壁を乗り越えた努力
- 世界記録に向けた挑戦と今後の展望
といった内容を、わかりやすく解説しています。
「世界の頂点に立つ選手は、どんな環境で、どんな想いで戦っているのか?」
気になる方は、ぜひ最後までご覧ください!
北口榛花がチェコを拠点に選んだ理由とは?
北口榛花さんがチェコを拠点にしたのは、やり投げの本場であるチェコの環境で世界一を目指すためです。
指導者不在という苦境から自ら道を切り開き、チェコ人コーチとの出会いをきっかけに移住を決意しました。
やり投げで世界の頂点を目指すため、北口榛花さんは自らの意思で「やり投げ王国」チェコを拠点に選びました。
その背景には、日本国内での指導者不在という危機と、偶然が生んだ運命的な出会いがありました。
コーチ不在の危機とセケラック氏との出会い
北口榛花さんがチェコを拠点にするようになった大きな理由は、指導者不在という深刻な状況に直面したことです。
大学1年生のとき、当時の恩師である村上幸史コーチが日大を退任し、北口榛花さんにはコーチがいないという状態に。
そんな中、2018年11月にフィンランドで行われた世界指導者会議に参加した北口榛花さんは、チェコのコーチ・デービッド・セケラック氏と出会います。
セケラック氏はその場で「コーチがいないと東京五輪に出られないかもしれない」と心配し、北口榛花さんはその言葉に背中を押されるように「じゃあ、コーチしてくれませんか?」とその場で直談判。
さらに帰国後もメールで粘り強く交渉し、2019年2月にはチェコでの合宿が実現。
この出会いが、彼女の競技人生を大きく変える転機となりました。

「今、私にはコーチがいないんです」
…その一言が、世界一への道を開いた瞬間だったかもしれませんね。
次は、なぜ数ある国の中で北口榛花がチェコを選んだのかを見ていきましょう。
やり投げ王国チェコに惹かれた背景
北口榛花さんがチェコに強い憧れを抱いていたのは、単なる偶然ではありません。
チェコは男子・女子ともにやり投げ世界記録保持者を輩出している世界屈指の強豪国。
北口榛花は高校時代からすでに「やり投げを本場で学びたい」と思い続けていました。
特に憧れていたのが、女子世界記録(72.28m)保持者で五輪2連覇のバルボラ・シュポタコワ選手。
彼女のしなやかで力強いフォームに自分の将来像を重ねたといいます。
バルボラ・シュポタコバ選手は、チェコ出身の女子やり投げ界のレジェンド。
北京五輪・ロンドン五輪で金メダルを獲得し、女子やり投げの元世界記録保持者(72m28)でもあります。
上半身の柔軟性を活かした投擲スタイルが特徴。


さらにチェコには、男子で世界記録98.48mを持つ伝説的アスリートヤン・ゼレズニー選手もおり、やり投げを学ぶには理想の環境だったのです。
男子やり投げ世界記録保持者
— kent's (@0216Ke) April 18, 2016
ヤン・ゼレズニー
現役最後の試合、優勝は出来なかった
ものの85m越えの記録を投げ
陸上人生に幕を閉じた。 pic.twitter.com/ITVBRsHdRx
北口榛花はこの国で学びたい一心で、セケラック氏の指導を受けるために単身チェコへ。
「世界記録を投げたい」という夢を叶えるため、自ら道を切り開いていったのです!



「やり投げをやるなら、チェコしかないと思ったんです。」
本場で挑戦する覚悟が、世界一の扉を開いたのかもしれません。
📌まとめ
- 北口榛花は、指導者不在の状況から自らチェコ移住を決意
- フィンランドでの出会いが転機となり、セケラック氏と運命の師弟関係に
- 高校時代からチェコに強い憧れを抱いていた
- 世界記録保持者が集まる“やり投げ王国”で成長を誓った
■参考URL:
北口榛花がチェコで掴んだもの:トレーニングと語学の努力
北口榛花さんはチェコでの生活を通じて、競技力・語学力・人間力すべてをレベルアップさせました。
トレーニング環境と語学習得への挑戦が、金メダリストへの道を切り開いたのです。
北口榛花さんがチェコで得たのは、技術だけではありませんでした。
やり投げの本場であるチェコでの日々は、練習の質・コミュニケーション能力・精神的な強さまで育ててくれたのです。
トップレベルの練習環境と独自の指導法
北口榛花さんがチェコでまず衝撃を受けたのが、トレーニングの質とスタイルの違いです。
チェコの指導者デービッド・セケラック氏は、「やり投げ選手らしくないトレーニング」で有名。
山登り・ローラースケート・坂道ダッシュなど、自然を使った体幹トレーニングを多く取り入れています。
その目的は、技術練習をするための“体を作る”こと。
北口榛花さんは「冬の基礎トレーニングがあるからこそ、春以降に質の高い技術練習ができる」と語っています。
さらに、練習は1人ではなく少人数グループで行われ、コーチはフルタイムで選手を指導。
これは、日本のように“先生が部活を見る”という体制とはまったく違う、プロフェッショナルな環境です。
比較項目 | 日本の環境 | チェコの環境 |
---|---|---|
コーチ体制 | 兼任が多く指導時間に限りがある | フルタイムで毎日付きっきり |
トレーニング内容 | 陸上に特化したメニュー中心 | 山登り・ローラースケートなど多彩 |
練習環境 | 学校の施設中心 | 森林・坂道など自然を活用 |
指導スタイル | 多人数で画一的 | 少人数制で個別指導に近い |
北口榛花さんはこの新しいスタイルに適応し、「チェコの練習はきついけど、確実に強くなれる」と実感を込めて話しています。



「最初は坂道ダッシュばかりで、マジできつい!って思ってました(笑)」
でもそのおかげで“足がつくれる”って感覚があって、納得したそうです。
難関チェコ語の習得と現地での適応
北口榛花さんがチェコで成功を収めるために、もう一つ乗り越える必要があったのが“言葉の壁”でした。
チェコ語は日本人にとって非常に難しく、発音も独特で文法も複雑。
ですが、セケラック氏が英語を得意としなかったため、「チェコ語を覚えた方が早い」と本人も納得して決意。
最初は練習用語のチェコ語対訳表からスタートし、単語を1つずつ覚えるところから始めたそうです。
チェコ語の発音でも特に難しいのが「Ř(ルザック音)」と呼ばれる音。
この発音も北口榛花さんは練習を重ね、現地のメディアが「発音がネイティブ過ぎる」と驚くレベルまで習得しました。
現在では、日常会話もインタビューもすべてチェコ語で対応。
現地の大会では冗談を飛ばすなど、まるで「チェコ人選手」として親しまれているのです。
🔽【インタビュー和訳】北口榛花選手|2023年 世界陸上 女子やり投げ金メダル後のコメント
Q:勝利おめでとうございます!今のお気持ちは?
ありがとうございます。正直まだよく分かりませんが、とにかく満足しています。Q:最後の投てきはいかがでしたか?
私はいつも最後の投てきが得意です。自分は「できる」「遠くに投げられる」と信じていただけ。特別なことはしていません。Q:コーチからは何と言われましたか?
最初の投てきで右ふくらはぎが少しおかしくて…。右脚が万全じゃなかったので、助走を速くして、もう少し上に向かって投げるように言われました。Q:チェコでの練習環境はどうですか?
家族や友達はいないけど、チームは私を家族のように支えてくれます。若い選手たちも頑張っていて、良い環境です。



「チェコ語って難しいんですよ!“Ř”の発音が鬼すぎて最初は泣きそうでした(笑)」
でも、伝わった時の嬉しさがあるから頑張れたという北口榛花さん。全てにおいてすごい!
📌まとめ
- 北口榛花はチェコで独自のトレーニング法を学び、基礎体力と技術を磨いた
- 少人数制+自然を活かした練習で、飛躍的に成長
- コーチとの会話のためチェコ語を一から学び、今ではネイティブ並み
- 語学習得も努力で乗り越え、現地の人々に溶け込む存在に




北口榛花とチェコで築いた信頼と絆
北口榛花さんはチェコでの生活を通して、コーチやチームメイト、地元の人々と深い信頼関係を築いてきました。
その絆があったからこそ、彼女は異国の地で輝き続けられたのです。
ただ競技力を伸ばすためだけにチェコに拠点を置いたわけではありません。
彼女が作り上げた“人とのつながり”こそが、世界一への原動力になっていました。
チームメイトとの交流と文化の違い
チェコでの北口榛花さんの生活は、厳しいトレーニングだけではありません。
現地の選手たちとの交流や文化の違いに戸惑いながらも、彼女はしっかりと人間関係を築いていきました。
セケラック氏の門下には、チェコ代表の若手女子選手ペトラ・シチャコバー選手も在籍。
北口榛花さんとは、練習仲間であり良きライバルでもあります。
- 一緒にトレーニングやランニングをする
- 食事を共にする
- 互いにアドバイスをし合う
- 大会では真剣に応援し合う
このように、北口榛花さんは単なる外国人選手ではなく、チームの一員として受け入れられているのです。
また、文化的な違いにも徐々に適応していきました。
たとえば、買い物は遠征時の空港免税店でまとめて済ませる、いつも同じカフェで息抜きをするなど、自分なりのペースで生活を整えていったそうです。



「ドマジュリツェにはスタバも大型モールもないけど、それが逆に心地いいんです。」
同じ景色の中で、心が落ち着くって不思議ですよね。
ドマジュリツェ市民からの愛と評価
北口榛花さんが拠点を置いているドマジュリツェ市は人口約1万人の小さな町。
しかし、今やこの街にとって北口榛花は「地元のスター」です。
2024年1月にはドマジュリツェ市から名誉メダル(記念メダル)が授与され、彼女の功績を称える式典まで開催されました。
- 市長が「第二の故郷として迎えたい」とスピーチ
- 市民が広場に集まり祝福
- 子どもたちがサインを求める場面も
地元メディアでは「ハルカはもうチェコの選手と言ってもいい」と報じられ、SNSでも「国籍を変えてほしい(笑)」と冗談が飛び交うほどの人気者に。
さらに、北口榛花さんは予選で敗退した大会でも、チェコ人選手の応援に回り、頬にチェコ国旗をペイントして本気で声援を送ったというエピソードも。



「あの瞬間、ハルカが“本物のチームメイト”だって心から感じたんです」
と、シチャコバー選手が語っていたのが印象的でした。
📌まとめ
- 北口榛花はチェコ代表選手たちと強い信頼関係を築いている
- 日常生活も含めて現地に完全に溶け込んでいる
- ドマジュリツェ市から名誉メダルが贈られるなど地元で絶大な人気
- 文化や言葉の壁を乗り越えた先に、“第二の故郷”ができた
北口榛花が見据える未来と世界記録への挑戦
北口榛花さんは現在、さらなる高みを目指して歩み続けています。
その視線の先にあるのは、やり投げ女子世界記録の更新と、競技を通じた日本スポーツ界への貢献です。
北口榛花さんにとって、チェコでの挑戦は通過点にすぎません。
これから先のビジョンや目標を見ていくと、彼女の競技人生が“まだまだ進化途中”であることがわかります。
金メダル獲得までの成長と進化
北口榛花さんはチェコに拠点を移してから、着実に実績を積み重ねてきました。
🔽主な実績年表(2022〜2024)
年 | 大会 | 成績 |
---|---|---|
2022年 | 世界陸上(オレゴン) | 銅メダル(日本女子投てき種目初) |
2023年 | 世界陸上(ブダペスト) | 金メダル(6投目で逆転) |
2024年 | パリ五輪 | 金メダル(66m超えの大記録) |
この快進撃の裏には、助走フォームの改善と筋力トレーニングの強化があります。
以前は助走でスピードを出しすぎてしまい、投げる前に減速する傾向がありました。
しかしセケラック氏の指導により、リズム良くスピードに乗り、最後のリリースに力を集約する投げ方へと進化。
また、「ウエイトトレーニングは投げに直結しない」と思っていた時期もあったそうですが、今では柔軟性を保ちつつ上半身を強化する重要性に気づき、積極的に取り組んでいます。



「助走で乗ったスピードを“全部投げに伝える”って、本当に難しいんです。でも、それができた時の快感は最高ですよ。」さすが訓練の賜物ですね!!



こうした技術と体づくりの両面での進化が、世界トップレベルの安定感へとつながっているのですね。
セケラック氏と描く“プロジェクト・ハルカ”の今後
北口榛花さんとセケラック氏が掲げる目標は、「世界記録更新」です。
チェコメディアでは、ふたりの取り組みは「プロジェクト・ハルカ」と呼ばれ、長期的な育成計画として報じられています。
- 次なるターゲットは2025年の世界陸上(東京開催)
- 現女子世界記録:72.28m(バルボラ・シュポタコワ選手)
- 北口榛花の自己ベスト:約67m台(※2024年時点)
「あと5メートル」ですが、この壁は決して容易ではありません。
それでも、北口榛花さんは焦らず確実にステップを踏んでいます。
また彼女は、日本でやり投げの価値をもっと高めたいという思いも口にしています。
「自分の姿を見て、やってみたいと思う子が増えてくれたら嬉しい」と語り、“競技の未来を背負う覚悟”も持っているのです。



「金メダルはゴールじゃなくて、スタート。世界記録に届いたとき、本当に意味のある一歩になると思っています。」という北口榛花さん!!かっこいい!!
📌まとめ
- 北口榛花さんは世界陸上・五輪の金メダルで頂点に立った
- 助走・筋力・柔軟性のすべてを磨いて競技力を進化させている
- セケラック氏との“プロジェクト・ハルカ”で世界記録を目指す
- 日本やり投げ界への貢献も視野に入れ、次の世代へつなぐ意志がある
まとめ
北口榛花さんがチェコを拠点にした理由は、偶然の出会いと自らの行動力が結びついた“挑戦の物語”でした。
コーチ不在の危機を乗り越え、言葉も文化も違う環境へ飛び込み、努力を重ねて世界の頂点に立った彼女の姿は、多くの人に勇気を与えてくれます。
そして今なお、世界記録というさらなる高みを目指し、チェコという“第二の故郷”で進化を続けています。
北口榛花さんのこれからの挑戦にも、ぜひ注目していきましょう!



