2024年1月2日午後、東京の羽田空港で、新千歳空港から来た日本航空の旅客機(516便)が着陸した直後に、海上保安庁の航空機と滑走路上で衝突しました。
日本航空516便に乗っていた乗員・乗客379人全員が無事に脱出という奇跡の中で、海上保安庁の航空機に搭乗していた6人のうち5人がこの事故で亡くなったと伝えられています。
羽田空港の事故の原因は何なのか、また、国際的な航空災害の過去4件まとめてみました。
空港災害についてはこれだけではありません。
主に4つの事故をまとめてみました。
今朝の羽田空港、C滑走路の様子。
— CAMEL (@Airliners_fun) January 2, 2024
事故から一夜明け、大破・焼損したJAL機と海保機に対し、僕も彼女も、そしてデッキに足を運んできた人たち皆が手を合わせていました pic.twitter.com/RFft0VINPU
羽田空港の事故の原因は何?
事故の詳細な原因と影響については、今後の調査で明らかになると思われますが「海上保安庁の航空機と羽田空港の管制官とのやりとりの行き違い」では?言われています。
また、空港が混んでいたり、ゲート数が増えたり、飛行機が地上を移動するルートが複雑になっているそうです。
その結果、空の上よりも地上での事故が増えているというデータが世界中から報告されています。
管制塔からの指示を主観で捉えず確実に、また目視やチームでの確認作業を重ねるということが重要なんですね、、、
でも、ヒューマンエラーは完全に除くことはできません。
改善していくことが必要です、、、
羽田空港事故に似た海外の空港で起こった過去の事故4件
①テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(1977年)
この事故が起こった理由として、話し合いがうまくいかなかったこと、操縦士の間違い、悪い天気で見えにくかったこと、空港の設備が十分でなかったことなどがあげられています。
この悲しい出来事の後で、世界中で飛行機の安全に関するルールが見直されました。
具体的には、管制官と操縦士がどうやって情報を交換するか、操縦士の訓練方法など、いろいろと改善されたようです。
テネリフェ空港災害は、航空史における悲劇であり、多くの安全対策と手順の改善が行われた重要な転換点となりました。
近くのグラン・カナリア空港に爆破予告があったため、多くの航空機がテネリフェ空港に迂回し、混雑が生じました。
- 事故の発生: 1977年3月27日、テネリフェ空港(ロス・ロデオス空港)で、KLMオランダ航空とパンアメリカン航空の2機のボーイング747が滑走路上で衝突しました。
- 犠牲者数: 事故により583人が死亡(これは航空史上最も死者数が多い事故)
- 事故の原因:テネリフェ空港災害の原因は複数の要因が重なった結果ですが、一つにまとめるとすれば、「濃い霧による視界不良、コミュニケーションの誤解、および滑走路の混雑が組み合わさったこと」が事故の主な原因と言えるでしょう。
これらの要因が複雑に絡み合い、航空史上最も犠牲者を出した悲劇につながりました。
②デトロイト・メトロポリタン・ウェイン郡空港事故(1990年)
事故の後で、空港の飛行機を案内する道の仕組みや、管制塔の人たちの教育、話し合いのルール、飛行機の安全装置など、いろいろな部分が見直されて、より良くされました。
操縦士と管制塔の人たちがお互いにしっかりと伝わるように話し合う方法と、飛行機が動く滑走路の管理をどうするかについて、大きく改善したようです。
- 事故の発生: 1990年12月3日航空1482便(DC-9)とノースウエスト航空299便(ボーイング727)が、デトロイト空港の滑走路上で衝突しました。
- 犠牲者数: この衝突事故により、DC-9の8人の乗客と4人の乗員が亡くなりました。ボーイング727の乗客と乗員は無事でしたが、いくつかの軽傷が報告されています。
- 事故の原因: 事故の主な原因は、濃い霧による視界不良、混雑した空港での複雑な誘導路、そして管制塔からの誤った指示によるものでした。DC-9が誤って滑走路に進入し、その滑走路を使用していたボーイング727と衝突しました。
③チャーキー・ダドリ(シュヴェーチャト)空港事故 (1996年)
この悲しい事故の後で、世界中の航空管制のルールややり方を見直すことになりました。
特に、管制官と飛行機の操縦士がどうやって話すか、そして操縦士が英語をどれくらい話せるかのルールを厳しくしました。
人命を預かる上では曖昧なやりとりでは行き違いからミスになり、大きな事故につながりますよね。
- 事故の発生: 1996年11月12日、インドのデリーから着陸したサウジアラビア航空のボーイング747と、カザフスタン航空のイリューシンIl-76が、インドのシュヴェーチャト空港の上空で衝突しました。
- 犠牲者数: 両機に搭乗していた349人全員が死亡しました。これは、テネリフェ空港災害に次ぐ、航空史上死者数が多い事故です。
- 事故の原因: 事故は、管制官の指示の不明瞭さ、カザフスタン航空機のパイロットの英語能力の問題、およびレーダーシステムの不備が重なって発生しました。サウジアラビア航空機は指示通りの高度を飛行していましたが、カザフスタン航空機が指示された高度よりも低く飛行していました。
④リナーテ空港事故(2001年)
この事故を受けて、空港の安全対策、管制官の訓練、滑走路の監視システムなどが見直されました。
また、管制官への過度な業務負担に対する懸念も指摘されました。
濃い霧など人にはどうにもならない悪天候とヒューマンエラー。
また管制官の健康、、、
離陸してからも安全とは限らないのですね。
- 事故の発生: 2001年10月8日、イタリアのミラノのリナーテ空港で、スカンジナビア航空のMD-87と、私用のCessna Citationジェットが滑走路上で衝突しました。
- 犠牲者数: 事故によりMD-87に搭乗していた114人全員と、Cessna機の4人の乗員が死亡しました。合計118人が犠牲となりました。
- 原因: 濃い霧による視界不良と、管制官による誤った指示が重なりました。Cessna機が滑走路を横断中に、MD-87が離陸しようとして衝突しました。
まとめ
羽田空港の事故の原因は何なのか、海外の空港で起こった過去の事故4件をまとめてみました。
世界中の航空関係の方々が安全第一で事故を回避し運行をしています。
しかし、悲しい事故があったことも忘れてはならないですよね、、、
日本航空516便に乗っていた乗員・乗客379人全員が無事に脱出したものの、うち14人がけがをしたと報告されています。一方で、悲しいことに、海上保安庁の航空機に搭乗していた6人のうち5人がこの事故で亡くなったと伝えられています。私たちは、事故の早急な解明と航空安全の改善を切に願うとともに、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。