北口榛花さんって、ただの“世界レベルのアスリート”じゃないんです。
インタビューで見せる明るい笑顔や、ちょっと天然っぽい一面に、親近感を覚える人も多いはず。
でも、その背景にはどんな家族がいて、どんなふうに育ってきたのか、気になりませんか?この記事では、北口榛花さんの家族構成や生い立ちにフォーカスして、彼女の“芯の強さ”のルーツをたどります。
こんなことがわかります👇
- 北口榛花さんはどんな家庭で育った?
- 幼少期の「習い事ラッシュ」が今の強さにつながっていた?
- ご両親がどんな言葉で背中を押し続けたのか?
- 海外遠征にも駆けつける、家族の絆の深さとは?
- “笑顔の理由”は母からの言葉にあった!
この記事を読めば、北口榛花さんのことをもっと好きになるかもしれません。競技の裏にある“家族との物語”、ちょっとのぞいてみませんか?
北口榛花の家族と生い立ちが感動的!
北口榛花さんは、北海道旭川市で生まれ育ったやり投げ界のスター選手です。一人っ子として、ご両親からたっぷりの愛情を受けながら育ったその生い立ちは、まさに“愛されて育った子”そのもの。
この章では、そんな北口榛花さんの家族構成や、子ども時代の様子に焦点を当てていきます。

まず旭川での幼少期に迫りますね。
旭川で育った一人っ子の少女時代
北口榛花さんは1998年3月16日生まれ、北海道旭川市出身です。
家族構成は、パティシエの父・北口幸平さんと、元実業団バスケットボール選手の母・北口規子さん、そして北口榛花さんの3人家族。
兄弟姉妹はおらず、一人っ子として育ちました。
地元では比較的裕福な家庭で、愛情深く、教育熱心なご両親のもとで幼少期を過ごします。
日々の生活は習い事づくしで、「放課後は塾や英会話、水泳にピアノまで、予定がぎっしりだった」と本人も語るほど。
学校の授業で困らないようにと、両親は学業にも力を入れていたそうです。
また、旭川の自然豊かな環境も北口榛花さんの基礎体力や精神力の土台となりました。
外遊びが大好きで、活発な女の子だったようです。



「親の愛情がすごくて…いつも何かに挑戦させてくれた記憶があります!」という北口榛花さん。チャレンジを邪魔しない、という教育方針があったんでしょうね。
このように、北口榛花さんの幼少期は、家族の支えに満ちた“理想的な成長環境”だったといえそうですね
📌まとめ
北口榛花さんは旭川市で一人っ子として育ち、ご両親から惜しみない愛情と教育を受けながら成長しました。
幼少期は習い事で多忙な毎日を送り、身体能力と学力をバランスよく伸ばしていったことが、現在の活躍の土台となっています。
英会話にピアノ、バドミントン…「習い事のはしご」生活とは?
北口榛花さんの子ども時代を語るうえで欠かせないのが、いわゆる“習い事のはしご”生活です。
その名の通り、平日の放課後は予定びっしり。
水泳、英会話、ピアノ、バドミントン、体操、塾…と、まさに朝から晩まで動きっぱなしの毎日でした。
特に印象的なのは、小学1年生で始めたバドミントン。
この競技では、小学6年生の時に団体で全国優勝を果たすほどの実力者だったんです。
これだけハードなスケジュールをこなしながら、学業もしっかり両立していたのが北口榛花らしいところ。
夏休みはさらに多忙で、朝はスイミングの朝練。
練習が終わると髪を乾かす間もなく、すぐに夏期講習へ向かうという驚きのスケジュールも。とはいえ、本人はこの生活を苦にしていなかったそうで、楽しんで取り組んでいたようです。



「今日はどの習い事?”って聞かれるのが日常でした(笑)」
という北口榛花さん。相当たくさんの習い事を楽しんでいたようですね。
このように、多種多様な経験が北口榛花さんの運動神経だけでなく、集中力や継続力を育んだのは間違いありません。
📌まとめ
北口榛花さんの幼少期は、毎日が“習い事ラッシュ”。
バドミントンで全国優勝するなど、努力と才能を開花させながら、学業と習い事を両立させた充実の子ども時代でした。
やり投げとの出会いと転向のきっかけ
北口榛花さんが「やり投げ」と出会ったのは、高校に進学してからのことです。
当時はスイミングとの“二刀流”をこなしていたものの、陸上競技部に所属していたことで、やり投げという競技に自然と触れる機会が増えていきました。
最初は軽い気持ちで体験してみただけだったそうですが、投げるごとに記録が伸びる感覚に夢中に。
「自分に向いてるかも…」と感じ始めたことで、次第に本格的に打ち込むようになっていきました。
もちろん、スイミングを辞めることには葛藤がありました。本人は「練習に行けなくなったらどうしよう」と不安を抱えていた時期もあったそう。
それでも、やり投げに魅せられた北口榛花は、少しずつ競技の軸を陸上に移し、やがて専念する決意を固めていきます。



「やり投げって、すっごく面白くて…どんどん記録が伸びるのが嬉しかったんです」という北口榛花さん。スポーツをとことん追求して楽しむタイプだったんでしょうね。
この“気付き”が後の快進撃に繋がるのですから、人生の転機は意外とふとしたところにあるものですね。
📌まとめ
北口榛花さんは高校時代、やり投げとの偶然の出会いをきっかけに、競技人生を大きくシフト。
最初はスイミングとの両立に悩んだものの、やがて記録の伸びと楽しさに惹かれ、本格的にやり投げへ転向しました。




北口榛花を支えたパティシエの父と元バスケ選手の母
この章では、北口榛花さんの“心の支え”でもあるご両親について深掘りします。
スイーツで励ますお父さん、笑顔を教えたお母さん。競技人生の裏には、そんな素敵な親子のストーリーがありました。
最初は、お父さんとの温かいエピソードから紹介しますね。
父・北口幸平の“スイーツで応援”エピソード
北口榛花の父・北口幸平さんは、旭川市内のホテルで働く腕利きのパティシエです。日々の仕事に加え、家庭では父親として、娘への愛情を“お菓子”という形で伝え続けてきました。
特に有名なのが「榛(はしばみ=ヘーゼルナッツ)のエクレア」。
これは北口榛花の名前「榛花(はるか)」にちなんで考案されたオリジナルスイーツで、父・北口幸平さんの深い想いが込められています。
東京オリンピックに出場した際には、この特製エクレアを差し入れ。
なんと2025年現在もスペシャルボックス2025が販売されているようです!!





「試合前はお父さんのプリンでパワーをチャージしてました!」
という北口榛花さん!なんて素敵な関係!
幼い頃から父の作るカスタードプリンが大好物だったという北口榛花さん。いまでも大会前後に父のスイーツを味わうことで、心のバランスを整えているそうです。
📌まとめ
北口榛花さんの父・北口幸平さんは、スイーツで娘を応援する“優しき職人パパ”。
名前にちなんだエクレアや思い出のプリンが、北口榛花の競技人生を甘く力強く支えてきました。
母・北口規子が教えてくれた「笑顔でいれば幸せがくる」
北口榛花の母・北口規子さんは、かつて共同石油(現ENEOS)の実業団バスケットボール選手として活躍していた元アスリートです。
スポーツの世界で生きてきたからこそ、娘の気持ちに寄り添える存在でした。
しかし、教育方針は体育会系とは少し違いました。
厳しく叱るよりも、「温かく見守る」スタイルを大切にしていたそうです。
そんなお母さんが北口榛花に何度も伝えてきたのが、「つらい時こそ、笑顔でいなさい」という言葉でした。



「つらい顔してたら、本当につらくなるよ。笑顔でいたら、幸せも一緒にやってくるよ」とお母さんに励まされたそうです。
この言葉は、試合中でも常に明るく笑顔でいられる彼女の強さの源になっています。
辛い場面でも前を向く姿勢は、母から受け継いだ精神的なタフさの証。
また、母・北口規子さんは、娘がやり投げに転向してからも遠征先まで足を運んで応援するなど、実際の行動でもしっかりと支え続けてきました。
娘の活躍を一番近くで見守る“静かな応援団長”ともいえる存在ですね。
📌まとめ
北口榛花さんの母・北口規子さんは、笑顔の大切さを教えてくれた存在。
自身の経験を生かしながら、娘を厳しくではなく温かく見守り、いつも前向きな姿勢で支えてきました。
世界大会にも駆けつける家族一丸の応援体制
北口榛花さんの活躍の裏には、いつもご両親の存在があります。
特に注目されるのは、世界大会のたびに“家族全員で現地に応援へ行く”という、まさに一丸となったサポート体制です。日本から両親が駆けつけてスタンドから熱い声援を送りました。
試合後、北口榛花さんは「みんなが喜んでくれたことが一番うれしかった」と話し、両親の前で号泣する姿も報道されています。試合だけでなく、遠征先での生活や精神面でも支えてきた両親。
特に海外大会では時差や食事面などの不安も多い中、安心感を与えてくれる家族の存在は、選手にとって大きな支えになります。



「どの試合にも家族が来てくれることが、本当に心強いんです」という北口榛花さん。彼女の“笑顔の裏側”には、こうした日常的なサポートがあるんですね。
まとめ
この記事では、北口榛花さんの家族と生い立ちについて紹介しました。
どんなふうに育てられ、どんな支えがあって今の彼女があるのか。以下に要点をまとめます👇
- 北口榛花さんは北海道・旭川出身の一人っ子
- 両親は共にスポーツやプロの道に関わる、頼もしい存在
- 幼少期は習い事だらけの日々を笑顔で過ごしていた
- 高校時代にやり投げと出会い、本格的に競技へ転向
- 海外での試合にも両親が応援に駆けつける、強い家族の絆
- 「笑顔でいれば幸せがくる」など、両親の言葉が今も心の支えに
北口榛花さんの強さと明るさは、生まれ持ったものだけじゃありません。家族に愛され、信じてもらいながら積み重ねてきた日々が、彼女の背中を押し続けているんですね。
今後の活躍も楽しみにしながら、応援したくなる理由がまたひとつ増えた気がします。



