サンバダンサーとして世界的に活躍する中島洋二さん。実は、彼の父親はかつて俳優として映画やドラマに出演していました。しかも、昭和の大ヒット特撮ドラマ『快傑ハリマオ』にも登場していたという噂が…!
サンバダンサー中島洋二さんの父親は元俳優、出演作品や画像などを徹底調査してみました。
【サンバ】中島洋二の父親は元俳優?

引用:Yohji Leão 中島洋二「ズームイン!! SUPER 中島洋二 サンバダンサー」
1972年8月に神奈川県で生まれた中島洋二さんは、3人兄弟の末っ子として育ったそうです。
19歳でサンバと出会い、大学時代に夢中に。1995年に本場のカーニバルを体験するためにブラジルへ渡られましたが、その間に俳優として活躍した最愛の父・中原謙二さんが75歳で亡くなってしまいます。

俳優としてスターを目指したが花を咲かしきれずに終えてしまった中島洋二さんのお父様。
生前、息子の中島洋二さんに役者になってほしいと願っていたそうです。中島さんは自ら選んだサンバの道でトップに立ち、今もリオのカーニバルで輝き続けています。
3月16日(日)よる11時放送
— 情熱大陸 (@jounetsu) March 9, 2025
MBS/TBS系 #情熱大陸
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52歳 本場の踊りに人生を捧げて
世界最大級の “晴れ舞台” に挑む pic.twitter.com/l5ZZNXQTml



中島洋二さんとお父様の中原謙二さん、よく似ていらっしゃいますよね!!
【サンバ】中島洋二の父親の出演作品や画像など徹底調査!
中島洋二さんのサンバにかける情熱は最愛のお父様の影響を強く受けているように思えます。
そんなお父様「中原謙ニ」さんはどんな方だったのでしょう。


中島洋二の父親はどんな人物?
中島洋二さんの父親は元俳優の中原謙二さん(本名:中島一豊さん)で、日本映画の黄金期に活躍した俳優です。
戦争映画や時代劇、アクションドラマに多く出演され、1960年~1961年に『快傑ハリマオ』で「ドンゴロスの松」を演じられていました。



1950年代~60年代は映画が大衆娯楽の中心!黄金時代です!
『快傑ハリマオ』が放送された1960年は、戦争映画・時代劇・特撮が大流行していた時期でした。
俳優でいうと、三船敏郎さん・市川雷蔵さん・勝新太郎さん・高倉健さんらが大活躍した頃ですね。
時系列で整理すると、中島洋二さんの父の俳優キャリアは以下になります!
年代 | 出演作品 | 役名 |
---|---|---|
1951年(31歳) | 『ブンガワンソロ』 | 憲兵上等兵A |
1953年(33歳) | 『戦艦大和』 | 片山少尉 |
1954年(34歳) | 『巌ちゃん先生行状記 処女合戦』 | 酒井俊夫 |
1954年(34歳) | 『大岡政談・妖棋伝(前篇・後篇)』 | 三好典膳 |
1954年(34歳) | 『トラン・ブーラン 月の光』 | 斎藤上等兵 |
1954年(34歳) | 『日本敗れず』 | 古川近衛参謀 |
1960年~1961年(40~41歳) | 『快傑ハリマオ』 | ドンゴロスの松 |
『快傑ハリマオ』で演じた「ドンゴロスの松」とは?
1960年連続テレビ映画として放送されていた「怪傑ハリマオ」に「ドンゴロスの松」として出演されていた中島洋二さんのお父様の中原謙二さん(本名:中島一豊さん)。



主人公の正義の味方、怪傑ハリマオの子分として大活躍のドンゴロスの松。記憶に残っている方々も多いのでは?





中島洋二さんにもとても似ていて、日本人離れしたお顔が特徴ですね。
めちゃくちゃかっこいい!!


引用:宣弘社
まとめ
サンバダンサー中島洋二さんの父親は元俳優、出演作品や画像などを徹底調査してみました。
中島洋二さんの父は、1950年代~60年代に活躍した俳優で、『快傑ハリマオ』では「ドンゴロスの松」を演じました。戦争映画にも多く出演し、存在感のある役柄を務めていましたが、夢半ばで俳優業から遠ざかられたようです。
しかし、その表現者としての魂は息子へと受け継がれました。中島さんは父の生き様を深く尊敬し、自らもサンバの舞台で輝き続けています。