田中卓志さんの母親、三枝子さんは「第三のアンガールズ」と言えるほど、面白い切り返しとユーモアに溢れ、愛情たっぷりで有名でした。
また、母親を慕う田中卓志さんの姿にもとても好感が持てましたよね。
田中卓志さんの母親の死因はなんだったのか、ユーモアと愛情で包まれた絆についてまとめてみました。
田中卓志の母親の死因は?
希少がんの一種?
神経内分泌がんは、ホルモンを分泌する神経内分泌細胞ががん化した希少ながんです。
胃、腸、膵臓、肺など全身に発生し、低悪性度(進行が遅い)と高悪性度(進行が速い)があります。
症状はホルモンの過剰分泌(顔の紅潮、下痢など)や腫瘍の圧迫(腹痛、黄疸など)が現れることも。治療は手術、化学療法、放射線療法、分子標的治療などがあり、早期発見が重要だそうです。
「十分生きたし、普通で良いよ」
三枝子さんは、亡くなる前に「十分生きたし、普通で良いよ」と語り、延命治療を望まなかったことが明らかになっています。田中卓志さんは、病気が発覚した際、国立がんセンターに通い、治療法を探す努力をしましたが、最終的には抗がん剤治療を受けることに。
それからはみるみる病状が進んでしまったそうです。
十分生きたし、普通で良いよ、という言葉は「ベストを尽くして生きてきた」という言葉に思えます。
いつでも全力だったのだと思います。
三枝子さんは病状が悪化する中でも、電話越しでは具合が悪い様子を感じさせず、田中卓志さんを気遣っていたといいます。
田中卓志と母親のユーモアと愛情に包まれた絆
第三のアンガールズと言われるぐらいユーモアに満ちていてテレビにも出演されていた田中卓志さんの母親、三枝子さん。
「ちょっと不運なほうが生活は楽しい」という田中卓志さんが執筆されたエッセイの中で、母親の素敵なエピソードがいくつかありました。
ツバメのすみか?
ツバメが来る季節、田中卓志さんの自宅のダイニングにツバメが巣を作ったそうです。
田中卓志さんの母親、三枝子さんは野鳥が大好きで、そのツバメたちのために自宅を解放し、早朝になると窓を開け、夜には窓を閉めて外敵から守ってあげたそう。
自宅を飛び回るツバメのフンが落とされないように家族は帽子をかぶって過ごしたそうです。
また、田中卓志さんのご実家は自然と同化するような「大自然の場所」。
庭先にへびが出ることもあり、買ってきた鶏の卵をあげたり。
自宅にムカデが出てもつまんで外に出していたとか。
田中卓志さんの著書「ちょっと不運なほうが生活は楽しい」には母親、三枝子さんのエンディングのノートのことが書かれていました。
「生まれ変われたら鳥になりたい」と書かれていたそうです(涙)
・・・この部分を読んで号泣してしまいました・・・
お弁当のストーリー
田中卓志さんが中学生から高校生まで、共働きで看護師をしていた母親は多忙な日々を送りながらも、毎日兄弟3人にお弁当を作ってくれていたそうです。
バラエティ番組で芸人さんの母親の順位をつけられるという企画があり、最下位、冷凍食品が入っているということでがっかりするようなコメントもあり、いつも元気な母親の三枝子さんはこの時ばかりはうつむいてしまったそう。
「うちの母親は共働きで看護師をやっていて忙しかったんだよ! 3交代で忙しい中、弁当も作ったから、冷凍食品くらい入るんだよ! でもな、身長を一番伸ばしたのはこの弁当だ!」と大立ち回りし「母ちゃん、うまいぜ!」とバクバクとお弁当食べたという。
このストーリーは有名ですよね。
田中卓志さんの大立ち回りにも涙涙涙ですが、三枝子さんが見栄などを張らずに再現されたお弁当を作ったということを想像しても涙が出てしまいます。
まとめ
田中卓志さんの母親の死因はなんだったのか、ユーモアと愛情で包まれた絆についてまとめてみました。
田中卓志さんの母親は、病気と向き合いながらも、自分の人生を悔いなく生き抜きたように思えます。
三枝子さんのユーモアと愛情に満ちた日々は、田中卓志さんの心に深く刻まれています。
三枝子さんの思い出は、多くの人にとっても温かく、共感を呼ぶものとなるでしょう。